「なるほど、上手い芝居だな」
それがポップの声と分かるのに、少し時間がかかった。それほど冷たく、普段の彼とは程遠い声だったからだ。 メルルは縋るように目を上げた。
「正直、そこまで思ってもらえて嬉しいよ。ダイのことじゃなきゃ、騙されてやりたい。……ああ、ほんとに結婚したら、 うまくいってたろうな俺たち。騙したり騙されたり、毎日面白そうだ。お互いあんまり上手くないから、すぐに ばれるしな」
「ポップ……さん……?」
後ずさろうとして、流し台に背をついた。目の前にいる、この男は誰だろう。こんな冷たい顔で、笑うことのできる 人だったろうか。
「もし、ほんとにダイが死んでたら、あるいはあんたがダイの居場所を知らなかったら、あんたがこの場でそれを言う はずはねぇんだよ。相手の目的が何であれ、好きな相手と一緒になれる。部屋を暴かれようが、どんなに聞き出されようが、 吐くもんがなきゃ何も恐かねぇ。こんな美味しい話、誰が断る?俺なら二つ返事で飛びつくね」
「………」
「そんな顔、すんなよ。俺だって、好きでこんな気持ち悪ぃ話してるんじゃねぇんだ」
ポップは目を覆い、深いため息をついた。
「現に、あんたは俺がダイ目当てで来てると知りながら、今の今までままごとを楽しんでた。『目的』を知ってても、 素直に騙されてくれる証拠だって、俺は安心してた。結婚して、何年かけてでも、あんたがダイについて知ってること全部 割り出すつもりでいた。……こんな俺でも、あんたは好きでいてくれるから、それがせめてもの償いになると思ってたんだ。
それに」
ぼっ、と音をたてて燃え上がった白い炎に、メルルは目を見張った。ポップの右手から発火したそれは、彼の手の内で、 生き物のようにゆらゆらと蠢いている。
「俺だって、こんなに想ってくれてる女の子にこんなことしたくなかった」
「や……」
間近に屈みこまれ、炎が目前に迫る。本物の火炎を近づけられたほうがまだ恐怖が少なかったろう。メルルは瞬時に悟っていた、 その異形の炎に触れれば、どうなるか。
知られてしまう。ダイが生きていること、魔界にいること。それが知れれば、彼は。
「暴れなきゃ、痛みも薄らぐはずだ。じっとしててくれよ」
「……!!」
咄嗟に、メルルはポップの腕を払い、腰のナイフを抜いた。喉元に白刃を突き立て、力を込める。もっと早くこうするべき だったのだ、彼が来るよりずっと前に。声もなく、メルルは刃で喉を突いた。

荒い息の下、喉から滴る、ほんのわずかな血の流れを感じ、メルルは茫然と、窓枠に切り取られた小さな青空を見ていた。 もっと早く死ぬべきだった―――その後悔を永遠にひきずることになると、確信しながら。
「何で……こんなこと、するんだよ。俺なんかのために、どうしてここまで」
切っ先に血の滲んだナイフを握り締めながら、ポップの手は震えていた。
「俺は、あんたに何もしてない。甘ったれて、助けられてばっかりだ。そのくせこうやって恩を仇で返す、 こんな最低の奴のために、何で命まで捨てられるんだよ」
「本当に……本当にそう思って下さるんなら、お願いです。ダイさんのこと、諦めて下さい」
視線を泳がせたまま、メルルは穏やかに言った。ポップは、許しの言葉を聞く罪人のような顔で、 目を上げた。
「あの方はもう、人の手の届くところにはいらっしゃいません。追いかけたら……ポップさんは、死んでしまう」
涙に声を詰まらせながら、メルルは断言する。哀れむようにそれを見下ろし、ポップは一瞬の逡巡もなく 答えた。
「それは、できない」
ゆっくりと、メルルの腕が動き、彼女は両手で顔を覆った。答えを知っていた人間の仕草だった。
「姫さんには子どもが生まれる。マァムも、クロコダインのおっさんも故郷へ帰っちまった。みんなが、ダイを忘れてく。 時間は流れるし、人は変わるから、それは仕方ねぇよ。けど……世界中のみんながダイを忘れても、俺は、 俺だけはあいつを忘れちゃいけねぇんだ。あいつが消えた日から、俺はずっと決めてた。しわくちゃのじじぃになって 死ぬまで、絶対にあいつを諦めねぇって」
業火の音に、メルルは絶望の涙を流した。失ってしまう。彼を、永遠に。
「ごめんな……恨んでくれよ、頼むから」
そんなこと、できるはずがないと知っていながら、狡猾な魔法使いは囁いた。

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