「ああぁぁぁぁっ!!」
肩口から服を引き剥がされ、露出した胸に白い炎を押し付けられて、メルルは狂ったように叫んだ。 足掻く体を押さえつけられてなお、ちぎれんばかりに手足をばたつかせている。痛みや熱さのせい、ではない。 最後の最後まで、メルルはその心に秘めた勇者の居所を、ポップに秘そうとしているのだ。
「うう、あ、あ、あぁぁっ!!」
「メルル、メルル力抜け!痛ぇだけだ、大人しくしてくれ!」
泣き叫ぶ彼女を宥めながら、力ずくで押さえつけ、魔法炎を操る。左の乳房の裾野に狙いを定めると、 ポップは呪文を呟き、炎の宿る右手を押し当てた。メルルが目を剥き、痙攣に近い大きな震えを催す。
「ーーーーっ!!」
メルルの鼓動に呼応するように揺れながら、炎は肌を突き抜け、メルルの体内へと入り込んでいく。 実体のない炎ゆえ、火傷も流血もない。あるのは、実際に肌を焼かれる以上の痛みだけである。
のたうつ華奢な肢体にのしかかるようにして、ポップは精神を集中させた。瞬く間に、メルルの記憶が 流れ込んでくる。
魔界、ヴェルザー、呪い、毒、永遠の命、魔族、王、蒼い血、恋人の顔をした足枷。
親友が堕ちた地獄を知り、ポップは衝撃に打ちのめされた。しかし同時に、希望の光をも見たのである。 生きていた。やはり、生きていたのだ。ポップはうっすらと涙し、改めて親友の奪還を誓った。
しかしその間にも、メルルの記憶は魔法炎を介し、ポップの内心へと雪崩れ込んでくる。初めて使う魔法ゆえ、解術に手間取っている間に、 今は最も聞きたくない言葉たちまでもが、否応なくポップの鼓膜に響いた。

『きっと、ポップさんのことばかり考えていたからです』
『ずっと好きでした』
『よかった、やっとあなたの役に立てた』
『いいえ、本当ですわ!』
『私、あなたのこと嫌いになりました!』

―――やめろ!!
腕を引き抜き、転がるようにしてメルルの身体を離れる。肩で息をしながら目をやれば、痛みゆえか、メルルは既に気絶していた。 憔悴しきった痛々しい相貌に、ポップはずきりと胸を痛める。
―――まだ、罪悪感なんて持ち合わせてたんだな、俺。
自嘲気味に内心で呟きながら、ポップはメルルへと這い寄る。薄く愛らしい唇から寝息を確認して、ポップはほっと安堵の 息をついた。

『あの女はダイ様の居場所を知っているぞ』
数ヶ月前のこと、旅先の酒場で、半人半魔の戦士にそう教えられたとき、ポップは耳を疑った。
『今や、あの女の魔力は絶大だ。俺たちや、世界中の軍隊が、この6年影さえ掴めなかったものを、もし突き止められると したらあの女しかいないと、ずっと思っていた』
そうしてメルルの身辺を見張るうち、ラーハルトは見たのだという。中空に目を向け、ダイと語らうメルルの姿を。
『独り言だった、とは考えられないか』
『冗談は事柄を弁えてから言え。一度や二度ではないぞ』
控えめに提言した銀髪の兄弟子を紅い瞳で睨みつけると、ラーハルトはポップに詰め寄った。
『お前なら聞きだせる筈だ。できないとは言わせんぞ』
『……ああ』
ポップは迷いなく頷くと、女を傷つけたくないらしいヒュンケルの視線を振り切るように立ち上がり、マントを羽織った。
『言われるまでもねぇさ』

酒場を発ってすぐに、破邪の洞窟に入った。人の記憶を燻り出す禁呪を修めるためだ。場合によっては被呪者の命をも 危うくする、危険な法術である。あくまでも最終手段だと、自分を説得しながらの修行になった。
無事に習得を終え、テランへと急ぐ道中、ポップはずっと案じていた。 禁呪のことがメルルに先読みされてしまったら、彼女は自ら命を絶ち、ダイの居場所を秘するのではないか、と。ダイが今 危険な場所にいることは、今までメルルが隠し続けたことから明らかだ。ダイを連れ帰るどころか、踏み込んだ者全員、 命を落として帰れない可能性が最も高い、そういう場所なのだろう。
破邪の洞窟は強大な聖力で覆われており、いかなる魔力をもってしても、外から内情を知ることはできないと言われている。しかし、メルルほどの 魔力をもってすればどうか。ルーラで降り立った竜の泉から、メルルの住む山小屋へ走る最中、ポップの心臓は痛いほどに 激しく脈打っていた。
『……ポップさん!どうされたんですか?』
小屋の扉が開いて、メルルの笑顔を見たとき、ポップは思わずその身体に抱きついてしまった。久しぶりとか何とか、すぐ 冗談で誤魔化したけど、これでダイの居場所をつかめると、内心で狂喜していた。何年かかっても聞き出してやろう、もしもそれができないなら、 禁呪をつかってでも、必ず割り出してやろう、と。

本当に、それだけか?
目の前の寝顔に、あのときのメルルの笑顔を重ね、ポップは自問する。数ヶ月ぶりに見るメルルの笑顔は、修行の疲れも道中の苛立ちも すべて忘れさせるほど、清らかに眩しかった。ままごと、などと酷いことを言ったが、今日のことを 全く楽しんでいなかったといえば、大嘘になるだろう。それどころか、何度も空想していた。こんな日々が毎日続くこと、 彼女を幸せにしてやること、まるで月が欲しいと手を伸ばす子どものように、何度も何度も。
「なぁ……メルル」
漆黒の長い髪に、指を通す。冷ややかで滑らかな、絹のような感触は、いつまでもそうしていたいと思わせるのに十分だった。
「もしかして、メルルが今日のこと許してくれて、俺が生きて、ダイを連れて帰ったときはさ……本当に、結婚しちまおうか」
あっさりと言えたことに、少し驚く。眠っているときじゃなかったら、こんな風には言えないだろう。相変わらず臆病な 自分に、ポップは苦笑する。
「そうしたら、市場、二人で行こう。いっぱい材料買ってさ、また、今日みたいに美味い飯作ってくれよ。……っと、食い物だけじゃ 難だな。何か、欲しい物あったら言ってくれよ。花とか、髪飾りとか……いくらでも、手に余るくらい」
幼子に語る御伽噺のように、ポップはゆっくりと囁いた。前髪をかきあげ、現れた白い額に、自らの額を重ねる。
「その時もまだ、俺のこと好きでいてくれたらで、いいからさ。……俺はずっと、ずっと好きだよ」
メルルが好きだよ。
初めて自覚すると共に、初めて口にする想い。どうか伝わるようにと願いながら、ポップは眠る恋人に薄く口付けた。

夕日の差す山小屋の中、形見のようにのこされた黄色いバンダナを握り締め、メルルはぼんやりと考えていた。
占い師は自分の未来だけは予知できない。けれど、ポップがこうして旅立ってしまうことは、ずっと前から分かって いたのだ。何とかしてやめさせようと、足掻いて、足掻いて……そんなことは何にもならないと知りながら。
―――ポップさん。
地獄への道を指し示す、こんな身体など殺してしまえばよかったのだ。あの人を行かせるぐらいなら、それぐらいた易かったのに。 あの人のためなら死ねると、ずっと思っていたのに。私が変わってしまったのは、あの日からだ。
『ずっと好きだよ』
『もしかして、生きて帰ったら』
『結婚しちまおうか』
メルルはバンダナに頬を寄せ、すすり泣いた。先読みしたその日から、耳に焼き付いて離れない声。縋ってしまった、幸せな夢。
―――ポップさん!!
慟哭の中、それでもこの手の中の小さな希望を頼りに、朽ち果てる日まで彼を待つだろうと、メルルは悟っていた。 先読みなどよりもずっと確かに、強く。

夕焼け色のテーブルクロス 君に似た儚げな花
二人によく似た小さな子どもを寝かしつけたら
温め合って木の葉の寝床で眠ろう
どうかいつまでも君といられますように、他には何にもいらないから

END



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