穏やかな昼下がりだった。小さな窓から射す陽光は、新緑でほのかに色づいている。ことことと、鍋の煮立つ音が 気分まで沸き立たせる。厨房に立つメルルは、テーブルに肘をついているポップの視線を背中に感じながら、ほんのりと頬を染めた。 まるで、新婚みたいだ。片思いのくせに図々しいと、自分を戒めても、浮き立つ思いは抑えられそうにない。 邪魔者は消えるよ、と憎まれ口をたたきながら、席を外してくれた祖母に、メルルは心の中で小さく感謝した。

「うおー、美味そう!何だ、普通のもん食ってんじゃん」
やがてテーブルに並んだいくつもの家庭料理に、ポップは感嘆の声をあげた。好物らしい揚げ物をさっそく摘み上げ、 幸せそうに頬張っている。とても世界随一の魔力を誇る大魔道士とは思えない、子どもじみた仕草に、メルルは ふふっと笑った。
「やだ、どんな物食べてると思ってたんですか?」
「そりゃもう、トカゲとか、スッポンとかさ。ナバラ婆さんがこう、でっかい鍋で煮込んで、イーッヒッヒッヒって」
ナバラの表情を真似ながら、大鍋をかき混ぜる仕草をしてみせるポップに、メルルは思わず吹き出した。 確かに、あの絵本に出てくる魔女さながらの祖母ならやりかねない。「隠し味は空手ネズミじゃ!」となおも畳み掛けられ、 メルルはとうとう声をあげて笑い出した。
幼い頃から表情のない娘だと言われてきたのに、ポップの前ではこんな風に笑える。ポップといるときの自分が、 メルルは一番好きだった。

ポップは、痩身にそぐわぬ食欲で、次々と料理をたいらげていった。メルルは少々呆気に取られながら、 尋ねる。
「足ります?追加で何か作りましょうか?」
「いやぁ、いいよ、悪ぃし……」
満腹だから、ではないらしい。
「ばあさんと二人暮らしなのに、随分と食材のストックあるんだなぁ」
「昨日買い物に行ったばかりなんです。ここから市場までは遠いから、一週間分を一度に買うんですよ。……でも この分だと、明日にはまた行かなきゃ」
「あ、ごめん」
「いえ」
「じゃさ、俺も行くわ。帰りにルーラ使えるし」
「でも……」
「遠慮すんなって。ってか、いくら俺でもただ飯食らってそのまま消えるほど、度胸ないぜ」
冗談めかして、ポップは笑う。メルルは一瞬だけ表情を止めてから、何事も無かったように笑みを返した。
「そうですか?じゃあ、お願いします」
寸暇を惜しんでダイの捜索に勤しんでいるポップが、翌日までテランに留まるそぶりを見せるなど、 初めてのことだった。

皿洗いぐらいする、というポップを強引に押し留め、メルルは流しに立った。客人であるポップに手伝わせるわけには いかない。
大小様々な皿を手際良く洗い清めるうち、幸福な想像がメルルを支配した。ポップと二人、いつもの市場へ行く。 明日は近所の農園が出荷に行く曜日だから、一緒に荷馬車に乗せていってもらおう。果物をいっぱいに積んだ馬車の 後尾で、ポップは好物のリンゴを一つくすねて、かじるかもしれない。『おっさん、これ美味いよ!』なんて馬車の主に 軽口をたたきながら。そうして、何の気なしに、『食いなよ』とメルルに食べかけのリンゴを寄越すのだ。メルルが どれだけ嬉しいかなんて、知りもしないで。
市場について、農家のご主人に丁寧にお礼を言ったら、ポップを案内してあげよう。小さな市場だけれど、素朴で質の良い ものがそろっている。ポップの食欲に見合うだけの 大きな木皿と、彼が好きな食べ物と、テーブルに飾る花を買おう。花が枯れる頃にはポップはもう旅立ってしまうのだろうが、 その思い出を抱いて、次に会う日まで待っていられる。
ああ、けれど、もしもそんな日が毎日続いたら。
「メルル」
呼びかけられ、メルルは皿を取り落としそうになった。耳まで真っ赤になっているのが分かる。本人を前に、何を 想像しているのだろう。
「はい?」
返す返事さえぎこちなく震えてしまう。
「……よう」
水流の音のせいなのか、緊張しているせいなのか、ポップの声がよく聞こえない。
「何ですか?」
問い直すと、ポップが椅子を立って近づいてきた。メルルは、ゆっくりと瞼を伏せる。水の中の手に、ポップの手が 重なったかと思うと、メルルはふわりとその腕に抱き締められた。目を閉じて、メルルは願う。
神様、お願いです。どうかもうこのまま、
「メルル……結婚しよう、俺たち」
時間を止めて下さい。
うっすらと開いた視界は、涙でぼやけて、何も見えなかった。

「あー……このタイミングは餌付けされたみてぇで難だったかな、やっぱ」
「まぁ、あんま格好つけんのも難だし」
「……返事、聞いてもいいかな」
「メルル?……泣いてんのか?」
沈黙を埋めるためだけのポップの台詞が、次々と続く。メルルは繋がれた手をほどいて顔を覆い、涙を拭って、すっと背筋を伸ばした。
さぁ、これでおしまい、とでもいうように。
「私、自分の能力(ちから)がずっと嫌いでした」
思いがけない答えに、ポップの指先が戸惑ったように震える。
「気味悪がられたり、嘘つきと罵られたり、そんなことになる前に何とかしてくれって泣きつかれたり。 魔王軍との戦争のとき、襲撃を先読みして逃げるのには役立ちましたけど、殺されると分かってる人たちを置き去りにして、 逃げて逃げて……生き残って何になるんだろうって、ずっと思ってました。
だけどポップさんに会えて、あなたの役に立てて、初めて思ったんです。能力を持っていてよかったって」
「メルル……」
「けど」
抱き寄せようとするポップの手を、メルルは拒んだ。
「やっぱりこんな能力、いりません。こんなもの見えなければいいのに、そうすれば騙されて、いっときでも あなたと暮らせる。幸せになれるのに」
「騙されて?何言ってんだよ」
笑いかけたポップの表情は、振り返ったメルルの瞳に竦んだ。何をも見通す、漆黒の占球。
「あなたは結婚なんて望んでません。私の能力を使ってダイさんの居場所を知りたい、ただそれだけ」
「そんな……!!」
「見えるんです!!見たくなくても!私と暮らして、私の部屋を暴いて、私から聞き出そうとして躍起になって! 結局見つからなくて、あなたは私をおいて出て行くんです。そして、二度と帰らない」
頭を抱えて、メルルはずるずるとその場に座り込んだ。彼女がこんなに激するのを、ポップは大戦以来初めて見た。
「お願いです……もう、ダイさんを探すのはやめて下さい。あの方はもう、どこにもいないんです。剣の石が輝いているのは 多分、皆さんの願望がそうさせているだけ。本当はポップさんも分かっているんでしょう?」
啜り泣きながら、メルルは訴える。ポップは堪えるように拳を握った。
「もう二度と、ここへは来ないで下さい。ここには、あなたが探しているものは何もありません」

⇒Next



BACK to TOP

BACK to MAIN