―――あぁぁぁん?!
部屋に入った途端、俺は叫びかけた口を慌てて抑えた。何だこの部屋は。半分どころか、8分の7ぐらいベッドじゃねぇか。設計者はどこの
どいつだ。情緒とかもののあわれとか、そういうの知らねぇのかコノヤロー。
梅村さんも同じようなことを思ったのか、戸口で立ち尽くしている。まずい。この雰囲気は非常にまずい。
俺は両手でばしっと額を叩き、焦る心を懸命に宥めた。考えろ。与えられた状況のなかで、何ができるか。兎の目だ。俺は室内に踏み込み、
部屋の中心(=ベッドの中心)に膝立ちし、周囲を360度見回した。そして、人一人ようやく立てそうなスペースを目敏く発見する。
それはクローゼットの手前、開いた扉を遊ばせるための隙間だった。俺はスライディングする勢いでクローゼットにとびつき、中からタオルと
着替えを取り出すと、梅村さんに投げ渡した。ぽすん、とそれらが梅村さんの腕に納まるのと同時に、俺もまた、クローゼットとベッドの隙間に
入り込む。防空壕に逃げ込んだかのように頭を抑えながら、俺は叫んだ。
「風呂場で着替えてきて下さい!」
「……はい……」
気圧されたような彼女の声と、風呂場の扉がぱたんと閉じる音を聞いて、俺はようやく息をついた。少し前の俺なら、靴下に隠してた煙草全部
吸いきる勢いでふかし始めてただろう。だけどそれができないせいで、俺は正面から現実と向き合わなきゃならなかった。
あの、薄くて立て付けの悪そうな扉を一枚隔てた向こうで、梅村さんが着替えをしている。華奢で白いあの手が、濡れたブラウスのボタンを
一つ一つ外し、ついにはあのピンクのブラまでも……。
―――ファーーー!!
掌の下、異常に顔面が熱くなってるのを感じる。認めたくねぇ。認めたくねぇが。
―――これが思春期ってやつか、チクショウ。
すっかり春真っ盛りになってしまった頭と頬と胸と股間とを、俺はその狭い狭い空間で痛いほど持て余していた。
扉が開いた。俺は喧嘩前の目で、勢い良く顔を上げる。あくまで自然に接することだ。着替えを想像して発情してたなんて知れてみろ、
俺は彼女に一生顔向けできない。
「あの、榊くん」
「はいっ」
元気よく返事をして、立ち上がる。予め出しておいた、自分の分のタオルと着替えをかたく抱き締め、梅村さんに向き直った。
何のことはない、一言二言交わしてから、「俺も着替えます」と浴室に立て篭もればいいだけのことだ。
それなのにどうしちまったんだ俺よ。何故、指一本動かせない。そのくせ男の一本をそんなにいきり立たせて、どうしたってんだ俺よ。
たかだか―――梅村さんがバスタオル一枚巻きつけた姿でそこに立っている、それだけのことで。
俺はぱくぱくと口を動かしたが、一言二言はいっこうに出てこなかった。
「ち、違うの、私何も……ただ、これ」
梅村さんは可哀想なほどしどろもどろになって、俺が手渡した着替えを広げてみせた。それは、杉本彩を髣髴とさせる、皮製のボンデージ水着だった。
顎が外れるほど口を開けながら、俺はバスタオルと着替えを取り落とす。見れば、俺の着替えも皮製で、やけにぴっちりしたホットパンツとベレー帽と
胸元の開いた皮ジャン……ああもう、連想したくもねぇ。ハードゲイと杉本彩でどんなプレイしろっていうんだ、『ホテル・ヴィーナス』。
過剰サービスとはこのことだ。
「せ、制服……着ようと思ったんだけど、私、慌てて……トイレに、シャツ落としちゃって」
彼女の声が弱弱しく震える。いかん。また泣かせてしまう。
俺は掌で顎先を押し上げ、無理やり気を取り直した。
「いやいやいや!問題ないっす!シャツはあの、俺が洗いますから!そ、それまで、あの……」
言いながら、そんなことできるはずはないと俺は気付いていた。シャツを洗いに浴室に行くには、彼女とすれ違わなきゃいけない。タオル一枚だけの、梅村さんと。
そして目の前には、余計なぐらいでかいベッド。何もせずにいられたら、俺は俺じゃない。
再び防空壕に潜り込み、俺は頭を抱えた。
「いや、その……俺、見ないんで、その辺に座ってて下さい。俺ここにいますから」
最後の言葉は、自分に言い聞かせていた。
裸同然の女を目の前にして、お前何びびってんだ、童貞か。ぐだぐだ言ってねぇで食っちまえよ。耳元で囁いた、俺の声をした悪魔を、俺は
右カウンターでぶちのめし、踏み潰し、口の中に放り込んでばりばりと粉砕した。
相手は「女」じゃない、梅村さんだ。俺にピンクのシャープペンを貸してくれた。何もかも投げ出したくなるほど惨めなとき、いつも隣にいて、
励ましてくれた。そんな子を、身体が命令するまま抱いてみろ。俺は、生きていけなくなる。
俺は歯茎から血が出そうなほど奥歯を噛み締め、時間が過ぎるのを待った。正確には雨がやむのと、いくら叩き潰しても際限なく増殖する悪魔が
絶滅してくれるのを、待った。
「榊くん」
「はひっ?!」
856匹目の悪魔を食い殺した辺りだったろうか。彼女の手が、そっと俺の肩に置かれた。肩に手、ということは、あの胸は、俺の後頭部のすぐ傍に。
瞬時に、頭の中が祭りになった。祭りも祭り、リオのカーニバルだ。火が踊る、花吹雪が踊る、水着美女が踊る。
「マンボ!」
「えっ?」
「あっ、いや、なんすか?」
「代わるよ。今度は私がそこ、榊くんがベッド。ずっとその格好じゃ、脚痛くなるよ」
俺の体育座りを心配してくれているみたいだ。何て優しいんだ、梅村さん。ますますもって、俺は耐えなければならなくなった。
いつの間にか3000匹ぐらいに増えている悪魔を次々と薙ぎ倒しながら、俺は梅村さんの手を払った。
「いや、大丈夫です。俺、狭いところ好きなんで」
「でも」
「いいんですってば!」
いきおい、声が大きくなった。大声は普段から出しているので、深い意味はない。なかったのに。
⇒Next
|