桃色の髪の幼女が、間近に横たわっている。
手首を掴まれているのに振りほどこうともせず、睨みつけても泣きもしない。
どころか、遊んでもらっていると勘違いしているようで、つぶらな瞳はきらきらと
期待に輝いている。
生まれた日からただ愛だけを注がれて育ったであろう幼女には、憎まれていることさえ
理解できないのだろうか。
銀髪の少年はぎりりと歯を噛み締める。いい気なもんだ。思い知らせてやる。
朝の冷気が、ひやりと少年の頬を撫でた。
数日前の夕刻、少年は師によってこの山深い村に連れてこられた。
はちきれんばかりの笑顔で師を歓待した若い夫婦に、少年は見覚えがあった。
師と共に、少年の父や、少年を育ててくれた優しいモンスター達を虐殺した、
あの戦士と女僧侶だ。
『あんときのガキか!でかくなりやがったなぁ』
戦士は破顔して少年の頭を撫でたが、少年はにこりともせずにその手を払った。
触るな汚らわしいと、言いかけた口を師が慌てて塞いだ。
すみません、この子は人見知りするんですよと、得意のお人好し全開な笑顔で師がとりなす。
『なっちゃいねーなぁ、お前の子育ては。手本見せてやらぁ。おいで』
戦士は冗談めかして言いながら、僧侶のスカートの裾に隠れていた小さな生き物を
抱きかかえた。対面のときからそっぽを向いていた少年は気付かなかったが、それは
5歳くらいの幼い少女だった。豊かな桃色の髪は、母親に手入れされているのか、
きちんとした印象のおかっぱに揃えられている。くりくりと大きな瞳が、少女の愛らしさに
感激しているらしい師と、仏頂面の少年を順番に映した。
『ほら、ご挨拶は?』
『こんばん、は』
『どおぉーーだ、俺の娘はぁ。天才だろ』
『やーね、挨拶しただけじゃない。親バカ言わないでよ』
目に入れても痛くないほど娘が可愛いらしい父親と、そんな彼を嗜めながらも満更でないらしい母親。
少年の胸に冷ややかな思いが広がる。何だこいつら。俺の父さんを、仲間を、みんな殺しておいて、
自分たちだけ幸せそうに。
ぎっと睨みつけた視線が、偶然、幼女の無防備な視線とぶつかった。泣き出すかと思われた幼女は、
しかし、陽が滲むように温かく、少年に微笑みかけた。
幼女は無愛想な少年に不思議と懐いた。村に、歳の近い子どもがいないせいだろうか。
師との修行中も、戦士に剣の稽古をつけてもらっているときも、師の指図で僧侶の家事を手伝って
いるときも。少年のいるところならどこへでもついてきた。娘を溺愛する戦士が渋い顔をするほどである。
しかし、少年は一瞬たりとも少女に構ってやることはなかった。仇の娘に、いくら懐かれたところで
情など移すものか。少年は、乞うように差し出される手を、舌足らずに少年の名を呼ぶ声を、いつも
冷たく振り払った。
無視してやるだけ有り難いと思え、と少年は思う。ここに来てから数日、少年はある想像にとりつかれていた。
あの戦士と僧侶が愛してやまない幼女の、細い細い首を、一刀のもとに叩き落してやる。狂乱して泣き叫ぶ
だろう若い夫婦に、笑いながら言ってやるのだ。ざまあみろ。これが、お前らが俺にしたことだと。
少年がそれを現実にしない理由は、たった一つだ。
『たとえ敵でも、女を殺してはならん。武人として、最低の礼儀だ』
命を、愛情を、剣技を―――生きる全てを、少年に与えてくれた亡父は、幾度となく説いていた。
亡父の教えは、少年にとって絶対である。その枷で、少年は自らを襲う衝動に耐えていた。
両親に囲まれ、幸福そうに笑う幼女を見ているときが、最も忍耐を要する時だった。
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