「榊くん」
深刻そうな彼女の声に、俺ははたと目を覚ました。腕の中に、彼女がいる。彼女を抱いていたのは、どうやら夢ではなかったらしい。
にへっ、と笑う俺に、やや引き攣った笑みを返すと、梅村さんはおずおずと口を開いた。
何を言ってくれるんだろう。「私、幸せ」か。「結婚しちゃおっか」だったらどうしよう。どこまでも前向きににやける俺に、彼女は
意を決したように言った。
「これ、どうしよう」
「これ?」
「うん………これ」
彼女は困ったように、人差し指で「下」を指差した。その指を追いかけ、俺の視線は下へ、下へと下降していく。そして、
「えぇぇーーー?!」
繋がりっ放しの俺と彼女の急所を発見した。慌てた引き抜こうとするが、押しても引いても、抜ける気配がない。
縋り目で彼女を見ると、彼女もまた泣きそうになっていた。
「起きてからずっと、離そう離そうって思ってるんだけど……外れないの。こういうものなの?違うよね?どうしよう……」
どうしよう、って言われても。
俺は子どもの頃に見たワイドショーニュースを思い出していた。その昔、こういうことになって救急車で担ぎこまれた芸能人カップルが
いたらしい。子ども心に、どんなに恥ずかしかっただろうと同情していた。その立場に、自分がなるとは。しかも、生まれて初めての
恋の相手、梅村さんと。
俺はぐらぐらと揺れる頭で必死に考えた。救急車だと。それはまずい、絶対無理だ。恥ずかしいのは勿論だが、最悪の場合、
モウチョウで担ぎ込まれてる和の野郎と鉢合う。梅村さんと合体したまま、俺は舎弟に何て声を掛ければいい?
『よう和。モウチョウぐれぇ気合で治しやがれ。救急車ってのはなぁ、こういうどうしようもねぇ時に乗るもんだ!』
―――言えるか、バカヤロー!!
俺は必死で、梅村さんから息子を引っこ抜こうと足掻いた。最悪切り落としてでも、自分で何とかしなければ。般若の形相で
奮闘していた俺は、ある時梅村さんの気配に気付いた。この感じ。すげぇ来てる。心配オーラ来てる。あと少し放っておいたら
彼女は言うだろう、『ごめんね。私、どうしたらいい?』と泣き出さんばかりに潤んだ瞳で。
俺は彼女に、にかっと笑顔を向け、明るく言った。
「大丈夫っす!よくあることですから!あの、女の子が寝てたほうが外れやすいらしいんで、ちょっと寝ててもらえますか?」
「そうなの?」
はい、と快活に頷く俺に、彼女はやっと安心して微笑むと、ことんと枕に頬を落とした。数分の内に、すうすうと寝息を
たて始める。その無防備な寝顔に、俺まで何だか安らいで、まるで子どもにするみたいに、おでこに口付けてしまった。
何だってしてやろう。彼女がこうして眠れるように、天使みたいに笑ってくれるように。
そう思ったとき、胸に走ったのは、痛みではなく、ほんの一瞬だけ血の沸くような、温かな感覚だった。
樵も、ずいぶん人間が丸くなったらしい。俺はとんとんんと胸を叩くと、そのまま後ろ手に手を泳がせた。指先に当たった
通学鞄を器用に手繰り寄せ、ケータイを探し当てる。数回のコール音の後、黒井の声が聞こえた。
「俺だ。医者連れて来い。……ここにじゃねぇ、そっちにだ。電話口に聞くだけで足りるからよ。……何科?知るかコラ、何でも科連れて来い!
……ああ、腕さえ良けりゃ何でも構わねぇ……いや、一つだけ条件がある。口の堅い奴にしろ……おう。それから、女物の着替え……いや
何でもねぇ。今のは忘れろ」
END
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