「きゃあぁぁぁぁぁ!!!」
正拳一発。鮮やかにお化け役を殴り倒し、マァムは泣きながら走り去った。失神したらしいお化け役と共に
取り残され、ポップはたらりと冷や汗を流す。呆気にとられてマァムの背を見送るポップだったが、
すぐに危機に気付いた。
「しまった……」
こんな夜更けに、肝試しのコースに選ばれるような寂しい山道を、マァム一人で歩かせたら。
「他のお化け役が危ねぇ!」
ポップは足元に転がったお化け役にそっと謝ると、狂戦士(バーサーカー)と化したマァムの後を
必死で追いかけた。
しかし、ポップの心配は杞憂に終わった。動転したマァムはコースアウトして、訳の分からない道をどんどん
走っていく。「肝試しコース=こっちだよ⇒」と書かれた看板を走り抜け、分かれ道を5つもでたらめに曲がったところで、ポップは別の危機に
気付いた。道に迷ってしまう。というか既に迷っている。
「おーーい、マァム、止まれぇ!」
何度も呼びかけた声をもう一度張り上げたが、お化けの声と勘違いしているのか、マァムは逆にスピードを
あげて逃げていく。まずい、見失う。本気で焦ったところで、マァムの姿がふっと消えた。
「?!!」
ポップは色を失い、最後にマァムが見えた辺りへと必死で走った。手に灯したメラで辺りを照らす。
現れたマァムの姿に、ポップは息を飲んだ。
消えたように見えたのは、暗い中で転んだせいらしい。怯えきった顔で、マァムは草の上に座り込んでいた。
背の後ろに手をつき、後ずさるような格好で震えている。草の上に投げ出された脚は、ぞくりとするほど
白く艶かしく、ポップはさっと頬を赤らめた。
「……あ……」
「……よう。パンツ見えそうだぞ」
沈黙が気まずくて、ポップはわざと冗談を言った。マァムはばっと正座してミニスカートをおさえたが、
表情は相変わらず恐怖に沈んでいる。
「何だよ。らしくもねぇ。お前の故郷の魔の森なんか、ここより暗いし不気味だし、本物のモンスターが
出るじゃねえかよ」
「お化けは……出ないわよ……」
思い出したように身震いし、マァムは涙さえ浮かべていた。
「あのなぁ。お化けなんていねえの。さっきのは、姫さんの命令でお化けの格好させられてたパプニカの兵隊さん。
本物のお化けだったら殴れねえだろうが」
「だって、本物……みたいだった……」
ひく、としゃくりあげ、マァムはとうとう泣き出した。ポップは慌てて、マァムの背に回り、なだめるように
撫でた。風呂上りの甘い匂いが桃色の髪から香り、バカみたいに身体が熱くなる。熱帯夜のことだというのに、
その熱さは少しも不快ではなかった。
「か、髪……振り乱して、血だらけで……私のこと、睨んでた……」
「……え?」
マァムの背を撫でていたポップの手が、ぴたりと止まる。髪。血だらけ。何度思い出しても、マァムが殴り倒した
お化け役はそんな要素を一つも持ってはいなかった。ビーストくんを彷彿とさせる、布切れ一枚をかぶった典型的な
「お化け」姿だったのだ。
ポップの中で嫌な歯車が回り、出来事の辻褄を合わせる。そもそもおかしな話だったのだ、魔の森で育ったマァムが、
あんな子供だましで錯乱するほど怯えるなど。
にわかに、周囲の暗闇が重みをもってポップに迫った。心臓が、小石大ほどに縮んだのを感じる。
―――やべ。早ぇとこ、戻んなきゃ……!
立ち上がろうと脚に力を込めたポップを、マァムの手がぐっとつかんだ。見れば、マァムはぼろぼろと涙をこぼし、
ポップの腕に額を押し付けている。もう何も見たくない、とでもいうように。
―――そっか……こいつ、本物見ちまったんだもんなぁ。
そりゃ俺より怖いか、とポップは苦笑し、マァムの背をぽんぽんと叩いた。
「マァム。心配すんな、お化けなんかいやしねえよ」
「……っでも……」
「可哀想だったぜ、お前が殴っちまったお化け役。かつらとれて、ヘアピンだらけの頭でさぁ。本物の鼻血と
血のメイクが混じって、もう悲惨だった」
すらすらと嘘をついている自分に、少し驚く。らしくもなくおどおどとした瞳でマァムに見上げられ、
ポップは自分を鼓舞した。
「ちゃんと謝れよ、帰ったらさぁ。俺も一緒に謝ってやるから」
「………うん」
こくんと頷いたマァムの髪を、子どもにするように撫でてやると、ポップは彼女の手を取り、くるりと
踵を返した。とりあえず最初の分かれ道までは、と草を踏み分けてざくざくと歩き出す。
「あの……ルーラ、使えないの?」
「無理。魔法禁止って、姫さんに魔法力全部抜かれちまった、フェザーで。さっきのメラだってすげえ
無理したんだぜ。なけなしの魔法力かき集めてさ」
「そっか……」
「心配すんなって。絶対送り届けてやるから。疲れたらおぶってやるし」
ちょっとキザだったか、と自分の台詞に照れて、ポップは慌てたように付け足した。
「その代わり、ついたらパフパフな」
「なっ……スケベ!あんたマトリフおじさんに似てきたんじゃないの?」
「ははは、かもなー」
笑いながら、マァムがいつもの勝気さを取り戻したことに安堵する。覆い被さってくるかのような暗闇を、ポップは
挑むように見据えた。
お化けでも何でも来やがれ。二度とこいつを泣かせたりさせねぇからな。
その頃、冒頭に登場したお化け役は。
「うわー、可哀想なことしたわねぇ。でも鳩尾一発だったみたい、外傷全然ないわよ。よかったよかった」
「よかないよ、レオナぁ……」
彼の主・パプニカ王女レオナにホイミをかけられ、勇者ダイに哀れまれながら、まだ伸びていた。
「だってまさか、殴って逃げるなんて思わないじゃない。私はただ、ポップくんとマァムに
甘〜い雰囲気になってほしかっただけよ」
「その顔で睨まないでよ。怖いから」
ダイは心底怯えて、レオナから視線を外した。それもそのはず、彼の愛する姫は、メイクの達人と謳われる
三賢者が一人、マリン直伝によるお化けメイクで、見事なホラー顔をしている。血糊といい、ぼさぼさの髪といい、
夢に出てきそうなほどリアルである。
好奇心旺盛なレオナが、「私はお化けとか怖いからぁ」と死ぬほど似合わない台詞とともに肝試しを辞退した時点で、
何かあると疑ってはいた。しかしまさかお化け役の伏兵とは。ダイは海よりも深いため息をついた。
「さーて、お次は?ヒュンケルとメルルだって!凄い、意外な取り合わせじゃない?あの五画関係にまた一波乱
巻き起こしちゃったりするかしら」
「これ以上ややこしくしないでよ……」
夏空の星々が、レオナ姫の瞳の中できらきらと輝いていた。
End
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