無口だとばかり思っていた黒髪の少女は、思いの外よく喋った。
幼い頃のこと、育て親である祖母のこと、ついさっきの夕食会でのこと。流暢な話しぶりとは
言い難いが、鈴の鳴るような声が耳に心地良い。素朴な内容と相俟って、聞いていて心が和む。
そのせいか、人の事は言えないほど口下手なヒュンケルも、釣られていくつか話を返していた。
亡き父のこと、アバンとの修行時代のこと。相槌を返すメルルの、嬉しげな顔を見て、気を遣われて
いたのだと、初めて気付いた。
足を止めたのは数回。いずれも、『お化け』に扮したパプニカ兵に遭遇してのことだった。
もともとゾンビや骸骨兵の親玉だったヒュンケルが動じないのは当然だが、メルルもまた、
「こんばんは」と場違いに挨拶などしている。
プライドを傷つけられたのか、泣きながら走り去る兵士を見送ってから、怖くはないのか、と問えば、
占いの際に『あの類』を見てしまうことがままあり、見慣れてしまったのだという。闘気の類で操られる死体とは
別に、『本物』がいたとは。真夏の夜だというのに、ヒュンケルの背筋に寒気が走った。
そんなことがあったせいで、メルルが何もない場所で立ち止まり、あらぬ方向へ振り向いたとき、
ヒュンケルは思わず聞いてしまった。
「いるのか?その……」
「えっ?ああ、違います、ただ……」
曖昧に笑い、メルルは少し俯く。
「マァムさんに、何かあったみたいです」
「マァムに?」
眉を上げたヒュンケルに、メルルは慌てたように補った。
「でも、大丈夫です。何かに驚いただけみたいですし、それに……」
息をつぐメルルの表情が、ほんの一瞬、苦しげに歪む。そして、
「ポップさんがいますから」
吐き出された声は、痛々しいほど穏やかだった。
ヒュンケルは息を詰めた。針で突くような罪悪感が、じわじわと胸に広がる。聞かなければ、せめて
口にさせなくて済んだのに。
何かから逃れるように、せわしなく歩き始めたメルルの横を歩きながら、ヒュンケルは彼女の痛みを
実感していた。何故ならそれは、彼も知っている痛みだったからだ。
悲しみではなく、後悔もしないけれど、泣き叫びたいほど苦しい。
手を離せば楽になると知っていながら、爪を立てるようにして縋り付いてしまう。
日に日に距離を縮めていく魔法使いの少年と桃色の髪の少女を見ながら、思えば、ヒュンケルと
メルルは同じ気持ちを抱いていたのかもしれない。ましてメルルは、その能力ゆえに、ポップの
感情を察しとってしまうのだ。
ヒュンケルは歩を止め、思い切ったようにメルルに声をかけた。
「メルル……さん」
「はい?」
初めて剣士に呼び止められ、メルルは驚きながら振り向いた。
「よければ少し、上を……見てくれ」
「上……?」
かすかに首を傾げてから、メルルは徐に目を上げる。黒い瞳は、長身の剣士と、樹木と、その葉とを
順番に映し、それから感激に見開かれた。真夏の夜空に、満天の星が咲き、豪奢に輝いている。
「綺麗……」
「子供の頃、父が言っていた。こうして星を見上げて、3つ数えてから、目を閉じると、」
メルルは耳を澄ませるようにしてヒュンケルの言葉を聞きながら、ゆっくりと瞼を下ろした。
「少し、悩み事が消える。星がいくつか、目から心に落ちてくるせいだと」
バルトスの笑顔を思い浮かべながら、ヒュンケルは訥々と語った。幼い頃、ヒュンケルが何かでぐずると、
バルトスはよく、闘技場にヒュンケルを連れ出し、同じことを言ったのだ。そして、幼いヒュンケルに、
そのまじないはよく効いた。
日ごろ地下で暮らしていたヒュンケルには、星が珍しく、それだけで励まされたのかもしれない。
そう思い至って、ヒュンケルは少し慌てた。メルルは地下暮らしなどしておらず、どころか旅育ちの
ようなものだと、さっき聞いたばかりだ。星など珍しくも無いだろう。
果たして、メルルは空を見上げ、瞳を閉ざしたまま、しばらく動かなかった。すまない、見当違いなことを
言ったと謝りかけたそのとき、
「本当……落ち込んでいると下ばかり見てしまって、分かりませんでした」
星を見るだけでこんなに、救われるなんて。
そう言って振り返ったメルルの顔が、泣き笑いに歪んでいたのを見つけ、ヒュンケルは一瞬呼吸を忘れた。
「ごめんなさい……」
耐えようとして、耐え切れない涙を流すメルルの髪を、腕を伸ばしてそっと撫でる。
これは多分、同類相憐れむ、というやつだ。メルルもきっと分かっている、ヒュンケルが『同類』だと。
人が見たら傷の舐め合いと笑うかもしれない、けれど。
「謝らなくていい」
目の前の少女に対して抱く、温かな思いを、この娘にはいつか幸せになってほしいと、願う心を。
ほんの少しだけ愛しいと思った。

「行かないの?レオナ」
「うん……この状況はさすがに、ねぇ」
しゃくりあげて泣くメルルと、その頭を撫で続けるヒュンケルとを、叢の影から覗きつつ、勇者と姫は
こそこそと言葉を交わしていた。
「どう思う?あれ……」
「俺に分かるわけないじゃん」
相変わらず男女の心の機微に疎いダイは、途方に暮れたように首を横に振った。
「とりあえず、エイミには黙っといた方がいいわね」
「うん、それは俺も分かる」
血を見るからね。目を見合わせて同時に頷くと、お化け顔の姫とお付きの勇者は、次なる獲物を探しに
歩を踏み出した。
(おまけ)
「どうしたの?ポップ……顔恐いわよ」
「いや……何か急に、ヒュンケルの野郎をぶっ飛ばしたくなった」
メラゾーマで、と付け足すポップの表情があまりにも真剣で、メラゾーマじゃぶっ飛ばすんじゃなくて
灰にしちゃうじゃない、と突っ込むことさえマァムにはできなかった。
End
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